海角七号 - 情书篇


















跨越时间以及遥远距离的思念都记述在七封迟了60年的情书...
海角七号 - 情书篇 ~~~小岛友子与日本教师的故事
在网上的一番搜寻后我只找到完全的中文版本,日文版尚欠第六封情书
可以点击play播放情书的深情旁白....
以下是《海角七号》的情书篇 - 中日对照版



<第一封>
一九四五年十二月二十五日 19451225日。
友子,太陽已經完全沒入了海面 友子、太陽がすっかり海に沈んだ
我真的已經完全看不見台灣島了 これで、本当に台湾島が見えなくなってしまった
你還站在那裡等我嗎? 君はまだあそこに立っているのかい?



<第二封>
友子 友子、
請原諒我這個懦弱的男人 許しておくれ、この臆病な僕を。
從來不敢承認我們兩人的相愛 二人のことを決して認めなかった僕を。
我甚至已經忘記 どんなふうに、君に惹かれるんだったっけ。
我是如何迷上那個不照規定理髮 君は髪型の規則も破るし、
而惹得我大發雷霆的女孩了 よく僕を怒らせる子だったね。
友子 友子。
你固執不講理、愛玩愛流行 君は意地張りで、新しい物好きで、
我卻如此受不住的迷戀你 でも、どうしょうもないぐらい君に恋をしてしまった。
只是好不容易你畢業了 だけど、君がやっと卒業した時、
我們卻戰敗了 僕たちは、戦争に敗れた。
我是戰敗國的子民 僕は敗戦国の国民だ。
貴族的驕傲瞬間墮落為犯人的枷 貴族のように傲慢だった僕たちは、一瞬にして、罪人のくび枷を科せられた。
我只是個窮教師 貧しい一教師の僕が、
為何要揹負一個民族的罪 どうして民族の罪を背負えよう?
時代的宿命是時代的罪過 時代の宿命は時代の罪。
我只是個窮教師 そして、僕は貧しい教師に過ぎない。
我愛你,卻必須放棄你 君を愛していても、諦めなければならなかった。



<第三封>
第三天 三日目。
該怎麼克制自己不去想你 どうして君のことを思わないでいられよう。
你是南方艷陽下成長的學生 君は南国の眩しい太陽の下で育った学生。
我是從飄雪的北方渡洋過海的老師 僕は雪の舞う北から海を渡ってきた教師。
我們是這麼的不同 僕らはこんなにも違うのに、
為何卻會如此的相愛 何故こうも惹かれあうのか?
我懷念艷陽…我懷念熱風… あの眩しい太陽が懐かしい。 暑い風が懐かしい。
我猶有記憶你被紅蟻惹毛的樣子 まだ覚えているよ。 君が赤蟻に腹を立てる様子。
我知道我不該嘲笑你 笑っちゃいけないって分かってた。
但你踩著紅蟻的樣子真美 でも、赤蟻を踏む様子がとても綺麗で、
像踩著一種奇幻的舞步 不思議なステップを踏みながら、踊っているようで、
憤怒、強烈又帶著輕挑的嬉笑… 怒った身振り、激しく軽やかな笑い声。
友子,我就是那時愛上你的… 友子, その時、僕は恋に落ちたんだ。
多希望這時有暴風 強風が吹いて、
把我淹沒在這台灣與日本間的海域 台湾と日本の間の海に、 僕を沈めてくれれば良いのに
這樣我就不必為了我的懦弱負責 そうすれば、 臆病な自分を持て余さずに済むのに



<第四封>
友子 友子、
才幾天的航行 たっだ数日の航海で
海風所帶來的哭聲已讓我蒼老許多 僕はすっかり老け込んでしまった ,潮風がつれてくる泣き声を聞いて
我不願離開甲板,也不願睡覺 甲板から離れたくない , 寝たくもない
我心裡已經做好盤算 僕の心は決まった
一旦讓我著陸 陸に着いたら
我將一輩子不願再看見大海 一生、海を見ないおこう
海風啊,為何總是帶來哭聲呢? 潮風よ , なぜ、泣き声をつれてやって来る
愛人哭、嫁人哭、生孩子哭 人を愛して泣く ,嫁いで泣く ,子供を生んで泣く
想著你未來可能的幸福我總是會哭 君の幸せな未来図を想像して ,涙が出そうになる
只是我的淚水 でも、僕の涙は潮風に吹かれて
總是在湧出前就被海風吹乾 あふれる前に乾いてしまう
湧不出淚水的哭泣,讓我更蒼老了 涙を出さずに泣いて ,僕は、また老け込んだ
可惡的風 憎らしい風
可惡的月光 憎らしい月の光
可惡的海 憎らしい海


十二月的海總是帶著憤怒 12月の海はどこか怒っている
我承受著恥辱和悔恨的臭味 恥辱と悔恨に耐え
陪同不安靜地晃盪 さわがしい揺れを伴いながら
不明白我到底是歸鄉 僕が向かっているのは故郷なのか
還是離鄉! それとも、故郷を後にしているのか

<第五封>
傍晚,已經進入了日本海 夕方、日本海に出た。
白天我頭痛欲裂 昼間は頭が割れそうに痛い。
可恨的濃霧 今日は濃い霧がたちこめ、
阻擋了我一整個白天的視線 昼の間、僕の視界を遮った。
而現在的星光真美 でも、今は星がとても綺麗だ。
記得你才是中學一年級小女生時 覚えてる? 君はまだ中学一年生だった頃、
就膽敢以天狗食月的農村傳說 天狗が月を食う農村の伝説を引っ張り出して、
來挑戰我月蝕的天文理論嗎? 月食の天文理論に挑戦したね。
再說一件不怕你挑戰的理論 君に教えておきたい理論がもう一つある。
你知道我們現在所看到的星光 君は、今見ている星の光が、
是自幾億光年遠的星球上 数億光年の彼方にある星から放たれてるって知ってるかい?
所發射過來的嗎?
哇,幾億光年發射出來的光 わぁ~、
我們現在才看到 数億光年前に放たれた光が、今僕たちの目に届いているんだ。
幾億光年的台灣島和日本島 数億年前、台湾と日本は一体どんな様子だったろう。
又是什麼樣子呢?
山還是山,海還是海 山は山、 海は海。
卻不見了人 でも、そこには誰もいない。
我想再多看幾眼星空 僕は星空が見たくなった。
在這什麼都善變的人世間裡 虚ろやすいこの世で、
我想看一下永恆 永遠が見たくなったんだ。
遇見了要往台灣避冬的烏魚群 台湾で冬を越すライギョの群れを見たよ。
我把對你的相思寄放在其中的一隻 僕はこの思いを一匹に託そう。
希望你的漁人父親可以捕獲 漁師をしている君の父親が、捕まえてくれることを願って。
友子,儘管他的氣味辛酸 友子。悲しい味がしても食べておくれ。
你也一定要嚐一口
你會明白… 君には分かるはず。
我不是拋棄你,我是捨不得你 君を捨てたのではなく、泣く泣く手放したということを。
我在眾人熟睡的甲板上反覆低喃 皆が寝ている甲板で、低く何度も繰り返す。
我不是拋棄你,我是捨不得你 捨てたのではなく、泣く泣く手放したんだと。


天亮了,但又有何關係 夜が明けた。 でも、僕には関係ない。
反正日光總是帶來濃霧 どっちみち、太陽は濃い霧を連れてくるだけだ。
黎明前的一段恍惚 夜明け前の恍惚の時、
我見到了日後的你韶華已逝 年老いた君の優美な姿を見たよ。
日後的我髮禿眼垂 僕は髪が薄くなり、目も垂れていた。
晨霧如飄雪,覆蓋了我額上的皺紋 朝の霧が舞う雪のように僕の額の皺を覆い、
驕陽如烈焰,焚枯了你秀髮的烏黑 激しい太陽が君の黒髪を焼き尽くした。
你我心中最後一點餘熱完全凋零 僕らの胸の中の最後の余熱は、完全に冷め切った。
友子… 友子、
請原諒我這身無用的軀體 無能な僕を許しておくれ。



<第六封>
海上氣溫16度
風速12節、水深97米
已經看見了幾隻海鳥
預計明天入夜前我們即將登陸
友子…
我把我在台灣的相簿都留給你
就寄放在你母親那兒
但我偷了其中一張
是你在海邊玩水的那張
照片裡的海沒風也沒雨
照片裡的你,笑得就像在天堂
不管你的未來將屬於誰
誰都配不上你
原本以為我能將美好回憶妥善打包
到頭來卻發現我能攜走的只有虛無
我真的很想妳!
啊,彩虹!
但願這彩虹的兩端
足以跨過海洋,連結我和妳



<第七封>
友子,我已經平安著陸 友子、無事に上陸したよ
七天的航行 七日間の航海で、
我終於踩上我戰後殘破的土地 戦後の荒廃した土地に,ようやくたてたのに、
可是我卻開始思念海洋 海が懐かしんだ
這海洋為何總是站在 海がどうして、
希望和滅絕的兩個極端 希望と絶望の両端にあるんだ
這是我的最後一封信 これが最後の手紙だ、
待會我就會把信寄出去 あとでだしにいくよ
這容不下愛情的海洋 海にくばわれた僕たちの愛
至少還容得下相思吧! でも、思うだけなら、許されるだろう
友子,我的相思你一定要收到 友子、僕の思いを受け取っておくれ
這樣你才會原諒我一點點 そうすれば ,すこしは僕を許すことができるだろう
我想我會把你放在我心裡一輩子 君は一生僕の心の中にいる
就算娶妻、生子 結婚して子供ができでも
在人生重要的轉折點上 人生の重要な分岐点にくるたび
一定會浮現… 君の姿が浮かび上がる
你提著笨重的行李逃家 重い荷物をもって家出した君
在遣返的人潮中,你孤單地站著 行きかう人ごみの中に、ぽっつんと佇む君
你戴著那頂… お金をためて
存了好久的錢才買來的白色針織帽 やっと買った白いメディアス帽をかぶってきたのは
是為了讓我能在人群中發現你吧! 人ごみの中で、君の存在を知らしめるためだったのかい
我看見了…我看見了… 見えたよ ,僕には見えたよ
你安靜不動地站著 君は静かに立っていた


你像七月的烈日 七月のはげしい太陽のように
讓我不敢再多看你一眼 それ以上直視するのはできなかった
你站得如此安靜 君はそんなにも、静かに立っていた
我刻意冰涼的心,卻又頓時燃起 冷静につとめたこころが一瞬に熱くなった
我傷心,又不敢讓遺憾流露 だけど、ぼくは心の痛みを隠し
我心裡嘀咕,嘴巴卻一聲不吭 心の声を飲み込んだ
我知道,思念這庸俗的字眼 僕は、知っている ,思慕という低俗の言葉が
將如陽光下的黑影 太陽の下の影のように
我逃他追…我追他逃… 追えばにげ ,逃げれば追われ
一輩子 一生



我想任我再怎么的努力也写不出这般优雅的文法了。在作者笔下的思念可以是如此的美丽动人。现实生活中,通讯的发达已经让人与人之间的距离缩短了许多。只需一通电话,一则短讯,或是电邮,无论多遥远的思念也能传达。然而正因为有了这种通讯,我们可能已经没那么注重别人对自己的思念。就算是见到面了也不以为然,那么人与人的距离不是更遥远了吗?好想越扯越远了=p .. 总觉得人应该珍惜每一份感情。当年的作者只能将思念之情记叙在情书里,现在的我们是不是应该更积极的表达我们本身的感觉呢?

看着情书的内容总觉得作者接下来60年的生活应该过的满痛苦。仅仅七天的航程已经表达了作者将永远无法放下这份感情。背负着60年的思念到底是怎么过的呢?更令我在意的是60年后的友子会有什么反应呢?这一切之能留待我们自己想象了...



Comments

JacQueLine said…
其实我是通过部落格友lock才知道这一部戏的..
http://lockgoh.blogspot.com/2008/10/blog-post_13.html
接着越来越多部落格友也一一分享看完戏后的感言..
因此也增加了我对此戏的兴趣..

这里的情书,我只看懂一半..
只觉得..
每一段未能开花结果的爱情是很无奈,也带有一丝丝遗憾的..
Wilson said…
看了电影应该会比较明白吧~~ (^_^)

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